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所在地 東京都港区芝 発注者 日本電波塔 設計 内藤多仲、日建設計 竣工 1958年10月 高さ 333m


- 東京タワーは正式名称を日本電波塔株式会社といってね、その名のとおり主にテレビの放送電波を関東一円に届ける役割を果たしているんだ。東京タワーとテレビは、ともに歴史を歩んできたと言えるだろうね。昭和33年(1958年)12月の東京タワー誕生からさかのぼること5年、昭和28年(1953年)2月に日本で初めての国営テレビ放送がスタートした。つづいて民間の放送も開局して、テレビは瞬く間に浸透していく。ところが当時はまだ、各局が独自の電波塔から放送を発信している状況だったんだ。

- その通り。というのも、当時、各局が建てていた電波塔は150メートルほどの高さでね。送信をフォローできる範囲はせいぜい半径70キロといったところだったんだ。もちろん、電波塔が乱立するという景観的な問題もあったし、航空安全の面でも危険が予想された。さらに電波塔の位置が各局バラバラだから、視聴者はチャンネルを変えるたびに、アンテナの位置も微調整しないといけない。こうした問題を一気に解消させるために、東京タワーは建てられたんだ。つまり東京タワーは、都心から100キロ圏内の人々にくまなくテレビ放送を届けるための、総合電波塔として誕生したんだ。

- 実際の工事期間は、昭和32年(1957年)6月29日から昭和33年(1958年)12月23日までのわずか1年半。昭和34年初頭の開業がすでに決まっていたから、異例のスピード工事で完成したんだ。現場では常時400人もの関係者が、朝の6時から夜の6時までフル稼働。鳶の職人たちは、想像を絶する高所で30センチほどの足場をつたいながら作業したらしい……。他にも鍛冶工や塗装工など、工事にたずさわった人の延べ人数は、なんと21万9335名にものぼったんだ。

- 東京タワーは、当初からただの総合電波塔としてだけではなく、見た目にも美しい東京の新名所、さらには「日本のシンボル」となることを目指して建設されたんだ。発起人となった実業家の前田久吉が、「どうせ造るなら世界一を……。エッフェル塔をしのぐものでなければ意味がない」と言ったように、まさに国の威信をかけたプロジェクトだったわけ。とはいえ、地震や台風の多い日本の風土で、300メートルを超す鉄塔を建てるのは至難の業。設計を手がけた建築構造学者の内藤多仲博士は、すでに名古屋のテレビ塔や大阪の新通天閣など30ちかい鉄塔を手がけた巨匠だったんだけど、そんな彼ですら、計算尺を手に(当時は電卓がなかった!)3ヶ月もの間、構造計算に明け暮れ、作成した設計図は1万枚におよんだといわれているんだ。

- 東京タワーは現在もなお、鉄骨のみで立つ「自立鉄塔」として世界一の高さを誇っているんだ。これは当時の最新技術と日本が誇る職人たちの腕が見事に融合した結果といえるだろうね。具体的に見てみると、東京タワーの建設に使用した鋼材の総量は4000トン。数字だけ聞くととんでもない量に思えるけど、これはエッフェル塔が使用した鋼材の半分程度の量なんだ。設計を手がけた内藤多仲博士が、「東京タワーはエッフェル塔より高くて軽い」と自画自賛したのもうなづけるよね。

- 驚くことに、すべて鳶の職人たちが手作業で組み立てたんだ。もちろん鉄骨はクレーンで運び上げるんだけど、そこからが彼らの独壇場。部材の穴に800度に熱せられたリベット(鉄のピン)を差し込み、ハンマーで一気に打ちつけ見事に接合させる。このリベットは、下にいる職人さんがあらかじめ炉の中で加熱していて、必要になると鉄製の箸ではさみ、なんと上の作業場へ放り投げる! それを上で待ち構えていた別の職人さんが専用の筒でキャッチして……って言うのは簡単だけど、想像するだけでゾッとするよね。これを彼らは、目もくらむような高いところで、なんなくこなしていたんだから、ただもう凄いとしか言いようがない……。

- 例えば、東京タワーの「333メートル」にまつわる伝説があるよね。東京タワーが昭和33年に完成したから、ゲンをかついで高さも333メートルにしたとか……。もちろんこれは事実無根。東京タワーが総合電波塔として関東一円に放送を送るためには、どうしても300メートル以上の高さが必要だったんだ。333メートルは構造計算のすえに導き出された偶然の数字にすぎないんだよ。まあ、こんな噂が流れるのも、東京タワーが人々の暮らしに根づいている証拠だろうけどね。でも中には驚くような本当の話もあるんだ。