
-
所在地 東京都千代田区丸の内 発注者 鉄道院 設計 辰野金吾 竣工 1914年3月 延床面積 10,494m2 地上階 3階 地下階 1階


- 東京の表玄関として1日に約40万人もの乗り入れがある東京駅。この日本を代表するターミナル駅が完成したのは、今から90年以上も昔の大正3年(1914年)のこと。それ以前の鉄道網はというと、東北本線の上野、そして東海道本線の新橋と、起点となる駅がふたつに分断されている状態でね、人や物の流れが滞って、都市の活性化の障害となっていたんだ。そこで上野~新橋区間を高架線で結び、両駅の間に鉄道ネットワークの拠点となる中央停車場を新設する計画が持ち上がる。この中央停車場こそ、現在の東京駅というわけなんだ。

- 東京駅は線路をはさんで西側の丸の内口と東側の八重洲口という、ふたつの玄関口が知られているよね。しかし東京駅のシンボルといえば、なんといっても丸の内口の通称・赤レンガ駅舎。赤レンガ駅舎は皇居と向かい合って、1本の道(行幸通り)で結ばれていることからもわかるように、単なる鉄道の玄関口としてだけでなく、近代国家日本の威容を示す建造物でもあったんだ。いっぽう八重洲口は、創設当初から驚くほど簡素な造りで、長らく東京駅の裏口と呼ばれていたほど。しかし利用者数の増大とともに拡張工事がおこなわれ、昭和29年(1954年)にようやく新駅舎・鉄道会館ビルが完成。クラシックな赤レンガ駅舎とは対照的に、百貨店も入居した近代的なビルとなり、八重洲口界隈のランドマーク的存在となったんだ。

- 東京駅を手がけたのは、明治~大正期における建築界の重鎮・辰野金吾(たつのきんご)。しかし当初は、逓信省(ていしんしょう。現在の総務省)の工務顧問であったドイツ人技師・バルツァーによって進められ、レンガ造りの上に瓦葺きの屋根や唐破風(からはふ)をのせるといった、和洋折衷の設計案が計画されていたんだ。ところが「ステーションごときは、外国式がよい」という明治天皇の意向によってバルツァー案は立ち消えになり、本人も任期満了によって退職。そこで明治36年(1903年)に辰野金吾が指名されたわけなんだけど、彼はバルツァーが設計したプラットホームの配置など、主要設備のレイアウトは引き継ぎながらも、デザインを西洋風に一新。ここに現在の東京駅・赤レンガ駅舎の原型ができあがったんだ。

- 国家的なプロジェクトとして進められた東京駅の建設。とはいえ当初は予算も少なく、これほど大規模なものになるとは、誰も考えていなかったんだ。また日清戦争や日露戦争の勃発によって計画は幾度も中断。明治17年(1884年)の建設案作成から20年は、先の見えない状態が続いたんだ。ところが明治38年(1905年)に日露戦争で勝利をおさめると状況は一転。予算は一気に7倍増となり、時の鉄道院総裁・後藤新平も「大国ロシアを負かした日本に相応しく、世界があっと驚くような駅を」と進言。設計案は何度も変更され、辰野金吾はそのたびに建設規模を拡大していったんだ。こうして明治41年(1908年)にようやく駅舎の着工となり、プロジェクトの立ち上げから30年を経た大正3年(1914年)に、ついに東京駅が完成したんだ。

- 完成した東京駅・赤レンガ駅舎は、中央に皇室専用の昇降口を設け、左右に地上3階建ての棟が全長335メートルにわたって延びる長大な建造物となっている。また左右両端の頭頂部には銅板葺きの巨大ドーム屋根を戴き、近代国家・日本の威容をあますことなく表現。鉄骨レンガ造りによるルネサンス様式は、建築史的には決して新しくないものの、当時のヨーロッパでは、こうした復古的な様式が主流だったんだ。設計を手がけた辰野金吾のデザインも、そうした時代を反映したものといえるだろうね。とりわけ赤レンガに白い花崗岩をめぐらせた鮮やかな外装は、イギリスのリヴィヴァル・ブームから生まれたクィーン・アン様式、ヴィクトリアン・ゴシック様式の影響が色濃いものの、日本では「辰野式」と称され、明治~大正期の近代日本を代表する建築様式となったんだ。

- 東京駅は大正12年(1923年)の関東大震災こそ被害を免れたものの、昭和20年(1945年)5月25日の空襲によって炎上。プラットホームの大半と、赤レンガ駅舎の屋根がすべて焼失してしまったんだ。それでも2日後には駅としての機能をはたしたというから驚くよね。戦後、東京駅はただちに修復され、壁だけとなった3階部分は安全面から切り取られ2階建てに。また創設当初からのシンボルであった巨大ドーム屋根は、木組みによる台形型の屋根へと姿を変え、これが現在にいたる東京駅となったんだ。建物としての規模は縮小したものの、のちにJR御茶ノ水駅を手がける伊藤滋による台形型の屋根は、かえって現代的な装いを東京駅にもたらしていると評価も高いんだ。また外壁に張り付いた白い列柱は、2階建てになってもプロポーションが損なわれることがないよう手直しが加えられるなど、修復を手がけた鉄道省(現在の国土交通省)の技師たちの手腕は、今でも語り草となっているんだ。

- その通り。東京駅は長い間、現存する駅舎を解体して高層ビルによる建て替えの案があったんだけど、市民の反対運動もあって保存の方向に傾き、長年、耐震性の調査が進められていたんだ。その結果、鉄骨レンガ造り構造に意外なほど強度があることが判明。さらに平成15年(2003年)に、赤レンガ駅舎が重要文化財に指定されると、単なる保存だけでなく、免震構造を新たに取り入れて、創設当初の姿に復原しようという計画が持ち上がったんだ。

- まず空襲によって焼失した3階部分を、鉄筋コンクリートづくりによって新たに増築。その際に外壁の赤レンガ(正確には化粧レンガ)は、現存する部分と風合いをあわせるため、色味から寸法精度まで細かく再現するようにしているんだ。もちろん創設時のシンボルであった、銅板葺きの巨大ドームも再び設置。外観だけでなく、ドーム内部の吹き抜け空間にも、かつてあった鷲や鳳凰、兜や剣といった日本的モチーフのレリーフ(彫刻)が、古写真や文献資料をもとに精密にあしらわれる予定なんだ。いっぽう八重洲口でも、2007年に超高層ツインタワービル「グラントウキョウ」が完成。同時に鉄道会館ビルは閉鎖され、2棟を結ぶ歩行者デッキが建てられることに。東京駅は現在は改修の真っ最中。2011年には、かつての壮麗な姿が復原される予定となっているんだ。