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所在地 東京都港区 発注者 三井不動産、全国共済農業協同組合連合会、明治安田生命保険、富国生命保険、積水ハウス、大同生命保険 設計 SOM、日建設計、隈研吾他 竣工 2007年1月 延床面積 569,000m2

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地上階 (ミッドタウンタワー)54階 (ミッドタウン・イースト)25階
(ミッドタウン・ウエスト)13階 (ガーデンサイド)8階 (パーク・レジデンシィズ)29階地下階 (ミッドタウンタワー)5階 (ミッドタウン・イースト)4階
(ミッドタウン・ウエスト)3階 (ガーデンサイド)3階 (パーク・レジデンシィズ)2階

- 2007年3月のグランドオープン以来、1年で約3,500万人の来街者を記録した東京ミッドタウン。過密化の激しい赤坂・六本木地区にあって、10ヘクタールを越す広大な敷地を有し、オフィス棟や住居棟をはじめ、上質なショッピングエリアに、美術館、公園など、あらゆる施設が整然と配置されたランドスケープは、まさに21世紀型の複合施設といったおもむき。なかでもミッドタウン・タワーは、約248メートルの高さを誇り、
都内一(2008年7月時点)の超高層ビルとなっている。さまざまな人がそれぞれの用途に合わせて、自由な過ごし方ができる場所、それが東京ミッドタウンなんだ。

- 東京ミッドタウンのある場所は、もともと旧・防衛庁本庁檜町庁舎として、長い間、一般の人が立ち入ることのできない国有地だったんだ。しかし庁舎の移転にともない、2001年に跡地を民間に払い下げ。これが東京ミッドタウン・プロジェクトの始まりなんだけど、その際に再開発の内容を、「多様な機能を一体化した交流ゾーン」とすることが、あらかじめ自治体側から定められていたんだ。また敷地内の道路や公園など、開発後に公共に戻す区域も明確に指定されていたため、煩雑な問題もなく、独創的な街づくりが可能となったんだ。こうして官から民への移行がスムーズに進んだことで、巨大プロジェクトとしては異例の5年というスピードで、東京ミッドタウンが完成したというわけなんだ。

- 東京ミッドタウンの大きな特徴となっているのが、ひとりの建築家がすべてを取り仕切るのではなく、国内外の建築家やデザイナーが複数参画することで街づくりがおこなわれているということ。エリア内には安藤忠雄設計のデザイン・センター「21_21DESIGN SIGHT」や、隈研吾設計のサントリー美術館、ガーデンテラスなど、建築界の巨匠が手がけた建造物が、ぜいたくに配置されているんだ。そして街のランドマーク的存在のミッドタウン・タワーを手がけたのが、超高層ビルの第一人者ともいえるアメリカの建築設計事務所SOM。SOMは東京ミッドタウンのマスター・アーキテクトも担っているんだ。

- マスター・アーキテクトとは簡単に言うと、街づくり全体を統括する役割のこと。東京ミッドタウンのように、多くの建築家やデザイナーが参画したプロジェクトは、ともすると全体の印象が散漫になりがち。かといって、ひとりの建築家が強権をふるうと、逆に画一的なものになる恐れもある。マスター・アーキテクトとはそうした失敗がないよう、参画した建築家やデザイナーがそれぞれの個性を発揮できる場を提供しながら、常に全体の印象に目を配り、街に統一感を与える重要な役割を担っているんだ。SOMは現在ニューヨークの世界貿易センタービル跡地に建つ「フリーダムタワー」を手がけていることでも知られるように、巨大プロジェクトにおける世界有数のテクノクラート集団といえるだろうね。

- その通り。東京ミッドタウンでは随所に「JAPAN VALUE(日本の新しい価値・感性・才能)」をコンセプトに「和」のイメージを配し、日本の美意識にこだわった街づくりがされているんだ。広大なエリアを誇りながら、あえて限られたスペースに高さの異なるビルを配置するというアイディアも、日本庭園の石組みに見られる「ずらし」の美学を反映したもの。また商業施設「ガレリア」の入り口にそびえる簡素な四角いゲートは、神社の大鳥居を表現しているし、竹素材を思わせる色合いが印象的な、各棟の日除けルーバーは、伝統的な京都町屋の格子模様をデザイン・モチーフとしているんだ。こうした細部にわたる「和」への徹底したこだわりが、先端技術の粋をこらしながらも、訪れる人の心が安らぐ要因となっているんだ。

- 東京ミッドタウンの地区計画面積の約4割は緑地と公園が占めているんだ。なかでもエリアの東側に位置する港区立檜町公園は、一見すると隣接するガーデン・スペースと見分けがつかないけど、実は東京ミッドタウンと同時に再整備された独立した公園。歩いてみるとそこだけゆるやかな勾配になっていることに気がつくだろ? ところが、旧・防衛庁跡地と檜町公園との高低差は、整備前には14メートルもあったんだ。これをひとつのまとまった空間とするために、公園の地盤を4メートルかさ上げし、防衛庁跡地側を4メートル切り下げるという大規模な再整備を敢行。結果として、車椅子でも行き来可能とされる5パーセント未満の緩やかな勾配で結ばれることになったんだ。

- 東京ミッドタウンが旧・防衛庁本庁檜町本庁舎の跡地を再開発したことは説明したよね。しかしその起源となると、江戸時代初期、1636年(寛永13年)に萩藩・松平長門守(毛利秀就)が、この場所を下屋敷として拝領したことから始まるんだ。のちに大名や武家のお屋敷街となる麻布・六本木界隈も、開幕間もない当時は、山や谷の残る農地が広がり、周囲には檜も生い茂っていたのだとか。また屋敷内の庭園にも檜の並木を植えていたらしく、こうしたことから檜屋敷とも呼ばれ、次第に檜町という地名が定着したというわけなんだ。

- その通り。東京ミッドタウンのガーデン・スペースを歩くと、いたるところに土を盛って草木が植えられているのがわかるだろう? その盛り土の側面崩壊防止のために組まれた石材が、実はかつて毛利家下屋敷で排水などで使われていただろう石組溝として使われたものなんだ。同じように、エリア全体を取り囲む約140本の樹木もまた、旧・防衛庁時代からのものを移植して保存しているんだ。東京ミッドタウンの豊かな緑は、この場所をはぐくんできた数々の遺産がカタチを変えて、現在に引き継がれているといえるだろうね。