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所在地 富山県中新川郡 発注者 関西電力 設計 関西電力 竣工 1963年6月 構造・規模 堤高 186.0m
堤頂長 492.0m
堤体積 1,582,000m3


- 日本の土木建築史上に燦然と輝く黒部ダムは昭和38年(1963年)に完成。高さ186メートルは現在も日本一を誇り、経済産業省が定める近代化遺産にも指定されているんだ。一般にダムの役割は、水害や土砂災害の防止をはじめ、水道や農業用水の確保など様々なんだけど、黒部ダムは発電に利用する水を確保することを目的として建設されたんだ。

- その通り。戦後、日本の経済復興とともに、深刻な社会問題となったのが電力の不足。つまり急増するエネルギーの需要に、当時の火力発電だけでは対応できなくなっていたんだ。そこで、かねてより望まれていた水力発電所と巨大ダムを、黒部峡谷に建設する計画が動き出したというわけ。7年の歳月を要した建設工事は、当時の金額にして513億円もの工費、そして1000万人もの人手によって、ついに完成。その後、電力不足は解消され、黒部ダムは、日本の高度経済成長を支える屋代骨となっていったんだ。

- なんといっても建設現場となる黒部峡谷は、立山連峰、白馬連峰の3000メートル級の山々に刻まれた急峻な地形が生み出す国内随一の秘境だからね。冬ともなれば豪雪に覆われ、かつては人が踏み込むことすらできなかったんだ。そんな地に経済復興の命運をになう巨大ダムを建設しようといんだから、当初から日本中の注目を集めていたんだ。

- 大自然との壮絶な戦いだったと言えるだろうね。なかでも後世まで語り継がれているのが、大町トンネル(現在の関電トンネル)の掘削工事。60万トンを超える資材をスムーズに運び上げるためには、大町トンネルの貫通が不可欠だったんだ。ところが工事は困難を極めた。入り口から2,600メートルの地点で大破砕帯にぶつかってしまったんだ。大破砕帯とは地下水をためこんだ軟弱な地層のことで、大量の水と土砂が地中の工事現場にあふれ、工事は一時中断し、トンネルの貫通は絶望的に思われていたんだけど、土木技術者の粘り強い努力で、なんとか噴出を抑えることに成功。作業員も、摂氏4度の水に打たれながら、懸命の手掘り作業を続け、ようやく大破砕帯を突破。7ヶ月におよんだ苦闘を経て、ついに大町トンネルは貫通したんだ。

- ひとくちにダムといっても、利用目的や型式によって、様々な種類に分類される。黒部ダムの利用目的が水力発電にあることは説明したけど、型式はどうかというと、その形状からアーチ式ダムと言われているんだ。巨大ダムの型式は、重力式、アーチ式、ロックフィル式に大きく分類されていてね、例えば重力式がダムそのものの重量によって水圧を支えているのに対し、黒部ダムに代表されるアーチ式は、水圧を両岸の岩盤に伝えることで支えているんだ。これはアーチという形状の力学的な特性を利用したもので、設計には非常に高度な技術が要求されるんだけど、使用するコンクリートの量が重力式の6割程度におさえられるから、工事も短期間ですむし、経済的な利点も大きいんだ。

- うん。これをウィングダムといって、この部分だけは重力式になっているんだ。アーチ式の絶対条件は、両岸の岩盤が水圧に耐えられるだけの強度を持っていることなんだけど、調査の結果、岩盤の上の部分が、強度的に不足していることが分かったんだ。そこで設計を変更して、アーチの両端の上の部分だけを切り落として、貯水池側に折り曲げた重力式のダムを設置したというわけなんだ。

- 黒部ダムの水を電力に変えるためには、発電所が必要なのは言うまでもないよね。黒部ダムは、ダムの10km下流、地下200mにある「黒部川第四発電所」の取水ダムで、同発電所の設備の一部だから、「黒四(くろよん)」と呼ばれることもあるんだ。

- その通り。黒部川は水量も豊富で高低差が大きいからね。実は、黒部ダムの建設よりはるか以前から、水力発電に利用されてきたんだ。大正時代から開発計画は始まって、最初の発電所が立てられたのが1927年(昭和2年)。その後、黒部川第二発電所、黒部川第三発電所が建てられ、場所も徐々に上流へと向かっていくことになる。黒部川第四発電所に比べると、はるかに規模も小さいんだけど、黒部の過酷な自然との戦いは、この頃から始まっていたといえるだろうね。とりわけ1936年(昭和11年)から始まった黒部川第三発電所の工事は、トンネルの掘削工事で火薬の自然発火や大雪崩など、黒部ダム以上の被害を出しているんだ。「世紀の大事業」とうたわれた黒部ダムの建設は、そうした苦難の歴史の総決算であったといえるのかもしれないね。